僕が初めてサンフランシスコを訪れることになった2017年、摩利子さんから「タカさんを呼ぶとしたら、どんなお話会が出来ますか?」という質問を頂き、手仕事のこと、暦のこと、保養のこと、放射能のこと、という候補を挙げたところ、迷わず「放射能と原発の現状を聞きたい」という答えをいただきました。
それ以来、僕は摩利子さんとの交流を通じて、「自分がなぜ味噌を仕込んでいるのか」「自分は味噌づくりを通じて何をしようとしているのか」を思い出させていただいています。
放射能汚染も、味噌の自給も、人任せにしないで、まっすぐ向き合っていきたい。
明るく、元気に、助け合いながら、健やかに生きていきたい。
叡伝さんには、日本でおこなっている疎開保養キャンプ「海旅Camp」への支援も頂いています。
海を越えたサンフランシスコに、自分たちの取り組みに共感して応援くれている人たちがいることは、計り知れないくらいに大きな支えになっています。
そして、遅々とした歩みではありますが、『いのちとみそ』は英語バージョンも作って、摩利子さんの元にも届けに行きたいと思っています。
発酵、養生、保養の文化を一緒に作っていける仲間が、世界中のいろいろなところに存在している。
そんな希望を感じさせてもらえたことは、(くどいですが)、今ここで、心折れずに、前向きに生きていくための、とてもとても大きな支えになっています。
そんな摩利子さんから『いのちとみそ』にメッセージを頂いたので、ここに紹介させていただきます。
「見えない世界と私とタカさん」
役者として舞台に立って来た私。
30数年、日々、自分の体や心をコネて来ました。
縁あって、ここカリフォルニアサンフランシスコにフワリと不時着。
いつしか家族が増え友人が増え、みんなのため自分のために味噌を仕込むように。
2011年の震災の際、自分の手で日本を思いながら何かをしたいと思い、
この自家製味噌を友人に購入してもらい、いくばくかの義援金を作り日本に送りました。
それがきっかけで、いつしか毎日麹を醸すようになり、発酵所叡伝が生まれ、
ファーマーズマーケットの一員となり、コミュニティーの人たちと繋がり始めました。
タカさんと知り合えたのもそんな思いを同じくする私たちを菌糸が繋いでくれたような
気がしています。
叡伝発酵所オーナー グレディ摩利子
それがきっかけで、いつしか毎日麹を醸すようになり、発酵所叡伝が生まれ、
ファーマーズマーケットの一員となり、コミュニティーの人たちと繋がり始めました。
夢は、発酵食品の美味しさ、魅力を分かち合いながら、いつでもみんなが自分の味噌を仕込める味噌カフェオープンでしょうか。
というわけで、ここサンフランシスコで、日々、麹や味噌をコネております。
というわけで、ここサンフランシスコで、日々、麹や味噌をコネております。
かつて自分の体を通してやって来た舞台表現とおなじ流れに叡伝発酵所もあるようです。
見えない世界と繋がりながら、場を共有する人と何かを分かち合う。
タカさんと知り合えたのもそんな思いを同じくする私たちを菌糸が繋いでくれたような
気がしています。
そう、発酵も味噌も舞台もアートも、会いたい人、会うべき人を繋いでくれる力があるのですよ。
見えないけど会えないけど遠く離れているけれど、確かに繋がっている世界中の命を思いながら、
ここサンフランシスコで、冨貴書房「いのちとみそ」を手に取る日を楽しみに待ってます。
叡伝発酵所オーナー グレディ摩利子
■発酵所「叡伝」
2011年の震災後、東北への支援イベント(https://www.youtube.com/watch?v=Nqcpu1PeQHI)義援金作りがきっかけとなり、グレディ摩利子がサンフランシスコで立ち上げた発酵食品カンパニー。
2012年、ラコシーナ(https://www.lacocinasf.org)インキュベーションプログラムに参加、翌年、発酵食品をファーマーズマーケットにて販売開始。
今ではベイエリア人気ミシュランレストラン、グロッサリーストアに日々発酵食品を届けている。
毎週土曜日出店するフェリービルディングファーマーズマーケットのブースでは、美味しいサンプルを多数用意し、世界各国から訪れるお客さんに発酵食品の魅力を伝えている。Asian Art Museum、Academy of Scienceからのイベント招聘、クッキングクラス、味噌メーキングクラス開催など、Educationプログラムにも積極的に参加。
コミュニティーの一員としてここベイエリアで活動を続ける。
2012年、ラコシーナ(https://www.lacocinasf.org)インキュベーションプログラムに参加、翌年、発酵食品をファーマーズマーケットにて販売開始。
今ではベイエリア人気ミシュランレストラン、グロッサリーストアに日々発酵食品を届けている。
毎週土曜日出店するフェリービルディングファーマーズマーケットのブースでは、美味しいサンプルを多数用意し、世界各国から訪れるお客さんに発酵食品の魅力を伝えている。Asian Art Museum、Academy of Scienceからのイベント招聘、クッキングクラス、味噌メーキングクラス開催など、Educationプログラムにも積極的に参加。
コミュニティーの一員としてここベイエリアで活動を続ける。
■グレディ摩利子
三重県伊賀上野生まれ。
三重県で祖父は味噌屋、祖母は豆腐屋を営んでいたらしい。
大学進学により東京に上京。
入学式にて劇団に勧誘され、舞台活動開始。
Pappa Tarahumara(http://www.pappa-tara.com)のメンバーとして30数年、主演女優をつとめる。
2003年、中野の松ヶ丘助産院にて第一子出産後、サンフランシスコへ移住。
家族、友人のため、味噌作りを開始。
2011年の震災後、自分の手で日本を思いながら義援金を生み出したいと自家製味噌を友人に買ってもらい、東北への義援金を作る。
味噌が底をつき、本を頼りに麹作りを開始。
自然と共生する知恵にあふれた日本の発酵をシェアし、健康で幸せなコミュニティーを築きたい、その思いが熱くなり発酵所「叡伝」(http://aedansf.com)を立ち上げ、今に至る。
アメリカ人の夫、一男一女、猫とサンフランシスコに暮らす。
三重県伊賀上野生まれ。
三重県で祖父は味噌屋、祖母は豆腐屋を営んでいたらしい。
大学進学により東京に上京。
入学式にて劇団に勧誘され、舞台活動開始。
Pappa Tarahumara(http://www.pappa-tara.com)のメンバーとして30数年、主演女優をつとめる。
2003年、中野の松ヶ丘助産院にて第一子出産後、サンフランシスコへ移住。
家族、友人のため、味噌作りを開始。
2011年の震災後、自分の手で日本を思いながら義援金を生み出したいと自家製味噌を友人に買ってもらい、東北への義援金を作る。
味噌が底をつき、本を頼りに麹作りを開始。
自然と共生する知恵にあふれた日本の発酵をシェアし、健康で幸せなコミュニティーを築きたい、その思いが熱くなり発酵所「叡伝」(http://aedansf.com)を立ち上げ、今に至る。
アメリカ人の夫、一男一女、猫とサンフランシスコに暮らす。
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