2018年9月17日月曜日

「いのちとみその輪ファンディング」始めます

「いのちとみその輪ファンディング」始めます。

ブックレット「いのちとみそ」の発売に合わせて「いのちとみその輪ファンディング」を始めます。





ブックレット「いのちとみそ」を作りながら考えていたのは、本はメディアだということです。

メディアは、媒介物とか媒体のことを表す言葉で「何かと何かをつなぐもの」の事

マスメディアは、スポンサーや発信者とマス(大衆)をつなぐメディア。

市民メディアは、市民同士をつなぐメディア。


ローカルメディアは、地域住民をつなぐメディア。

その他、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、フリーペーパー、回覧板、校内放送などなど、形のないメディアも含めて、多種多様なメディアが存在しています。

イベント、ワークショップ、井戸端会議、縁側でのおしゃべりも立派なメディアです。


そして、みそについての本というメディアを作ることで、みそと人をつなぐことと、人と人をつなぐことをしたいと思いました。

この本に書かれているようなことを丁寧にひとりひとりと分かち合っていくことを、様々なかたちで続けてけていきたいと思います。

そのために「いのちとみその輪ファンディング」を立ち上げました。


「いのちとみその輪ファンディング」は、ブックレット「いのちとみそ」の発行に合わせて始まったプロジェクトです。

ファンディングとは、活動のための資源、エネルギー、資金などを提供しあったり協力しあうことで財源を集める行為という意味の言葉です。

「いのちとみその輪ファンディング」の活動は、端的に言うと、みそを通じて地域を越えたつながりを作り、支え合うためのものです。

私たちが現代の暮らしの中で失ってきた人と人、人と自然のつながりを、みそを作る、食べる、そのための場を作ることをを通して、育んでいけたらと考えています。

そのためのチャレンジが「いのちとみその輪ファンディング」です。





1,みそのもつ多様性にまなぶファンディング

味噌の噌の字は、訓読みでは「かまびすしい」と読みます。

その意味は、ガヤガヤとやかましい、にぎやかしい、というものです。

味噌は、にぎやかな微生たちが作りだす、にぎやかな成分を含んでいます。

そして味噌は、にぎやかしい味がする食品です。

それぞれの成分が、それぞれの個性を持っています。

だからこそ、味噌が体内に取り込まれると、ひとつひとつの成分の持つ様々な個性を発揮するため、からだによくはたらくたべもの、になっています。

多様な個性が産み出す、多様なはたらき。

味噌の世界は、多様性の世界。

みそに関わるひとたちの個性、みそを作る人、食べる人、作る場、食べる場が、
多様に広がるいのちとみその輪、それが「いのちとみその輪ファンディング」です。














2,みそと出会い、人と出会う場をつくっていく


そのための具体的な場として、

・みそと出会う場

・みそを知る場

・みそを食べる場

・みそを作る場

・みそを分け合うつながり



を作り、支え合うための取り組みを皆さんと創造していけたらと思います。

そのためのプランを6つ提案させていただきました。

それらひとつひとつの取り組みを通じて出会った人達同士が、オンラインでも情報交換や相談ができるような場を、作っていきたいと思います。

◎プランの具体的な内容
3,みそとつながる暮らしを育むファンディング



この取り組みは、その内容と意図を踏まえると「クラウドファンディング」というよりは「蔵人(くらうど)ファンディング」と言えるかもしれません。

大きなみそ蔵では、一樽5トンほどのみそを何樽も仕込み、3年以上寝かせてから出荷します。

その間の人件費、光熱費、ランニングコストや、実際の労働、労働を支える場作りのための資源は、みそを食べる人や買う人、先行投資してくれている人達によって支えられています。

みそ蔵には、誰かの育てた大豆や糀、誰かが炊いた塩、つどうひとりひとりの知恵や技や思い、資金などの多様多彩なエネルギーが集まっています。









みそ蔵は、味噌を作る人、食べる人、配る人など多様な人びとがつながりあう交差点のような場所もあります。

そのコミュニティを構成する人達ひとりひとりも蔵人です。





みんなの暮らしの中にある欠かすことのできないみそを、みんなでファンディングしていく。





今まで、色々な場所でみそ作りをしてきました。

そして、これまでの活動を通じて「人は一人で出来ることは限られているけれど、つながりあうとできることが増えていく」ということを、深く感じています。

命のために大切なものを皆で作って分け合う場を、みんなで広げていきたい。

そのような場を、みんなで支え合っていきたい。

みそとともにある暮らし、みそ作りの場とつながる暮らし。

そこにある健やかさや楽しさや、気楽さや豊かさ。

ひとつひとつ、みんなで育んでいけたらと思います。










4,6つのプランについて

具体的には、以下のような取り組みに参加してくれる人を募集しています。

・みそと出会う場作り

・みそを作る場作り
・みそと人をつなぐメディア、ネットワークづくり



プラン1 いのちとみそ蔵
みそのオーナーを募り、冨貴工房で仕込んで寝かせます。
必要な時にみそを受け取ったり、送りたい場所に送れる、みんなのみそ蔵です。
みそを仕込んで寝かせる仕事を委託することで、みそ蔵のみならず、大豆農家、塩屋、糀屋、味噌を仕込む人を支えたり、育てることにもつながっていきます。
所有というよりは共有のためのみそ蔵が「いのちとみそ蔵」です。



プラン2、3 いのちとみその輪
ブックレット「いのちとみそ」に書かれている内容を中心に、みその違い、みその効能、みその歴史、みそ料理をシェアする集いの主催者を募集します。
会の中では、冨貴工房特製のみそ汁、各地のみその食べ比べも行います。
応募を頂いてから、集いを開催するまでの期間はもちろんのこと、その後も継続してイベントやワークショップを開催できるようサポートします。
会の開催前から各地の主催者同士をつないで、情報やノウハウを共有でき場として、メーリングリストやFacebookグループを運営します。
みそに出会い、人と人がつながりあえる為の場を一緒に育てていきましょう。
主催者さんの希望に応じて柔軟に企画していけたらと思います。


プラン4、5 いのちとみそ仕込み会
みそに出会い、人と人がつながりあえる場作りを。
そして、ひとつのたらいを囲んで、ひとつの味噌を皆で作って分け合う場を。
共同作業の場の再生、助け合って分かち合う「共生の未来」に向かう実践を。
自治や自給の力を育むきっかけとしても、みそ作りの時間を共有したいと願っています。
各地の主催者、参加者同士をつなぎ「寝かせている間にカビが生えたらどうしよう」といった疑問に対しても「つながりの力」で解決しあえる真のファンディングを目指します。


プラン6 Booklet『Life&Miso』Making
英語版ブックレットを作るための仲間を募集します。
編集、翻訳、ファウンダー、事前購入という形でぜひ相乗りしてください。
味噌と共に、世界の仲間とつながりあいましょう。


・・・

その他、フェイスブックグループや、メーリングリストの運営など、ファンディングそのものへの相乗りも大募集しています。

今は、みそを仕込んだ時期や食べ始めた時期などを書き込める円盤型の暦を作るようなことも進めています。

ぜひ気軽に連絡をいただけるとありがたいです。

どうぞ宜しくお願いします。


冨田貴史
fukikobo@gmail.com

みそとコミュニティの未来

自分たちの食べるものを自分たちでつくること。

食べものを自分たちで分け合うこと。

人のつながりの中で、食べものを作って、わけあう暮らし。

暮らし方の見つめ直しが起こる中で、途絶えかけたみそ作りの場が少しずつ増えていった。


味噌を作る場が生まれ、味噌を蓄える場が生まれ、みなで分け合い食べる「つながり」が生まれた。

老人会や、婦人会や、青年会や、こども会や、公民館や、集会場や、幼稚園や、学校や、役場の中で味噌づくりが始まった。

地域の話し合いの場の中央には味噌汁を炊く鍋があり、味噌を仕込む場という場に、老若男女が出たり入ったりしている。

商店街の中には、味噌をつくる共同作業所がある。

商店街のパン屋が、味噌を作りに作業所にやってくる。

パン屋が作る手前味噌パンを、おじいおばあや子どもたちが食べている。

カフェの一角には、オシャレに味噌がディスプレイされ、量り売りされている。

路地裏にあるシェアハウスの台所には、住民が分け合って使う味噌樽が積まれている。

地域で作られる味噌は、足の弱くなったおじいやおばあの元にも一軒一軒配られている。

祭りの時や年末には、手前味噌の持ち寄りによる、味噌汁の炊き出しがおこなわれる。

・・・

子どもたちは週末に、近所の大豆畑に繰り出していく。 




大豆や野菜を収穫したり、草取りをして、畑で味噌汁を飲んでいる。 



夏休みや冬休みには、味噌づくりキャンプが行われる。

大人とこどもが一緒になって、かまどでご飯を作り、大豆を茹で、塩を炊いて、糀をつけて、味噌を仕込んでいる。

商店街の中にある『味噌汁子ども食堂』では、無料で味噌汁とご飯がふるまわれている。

ここには老若男女が集まり、味噌や味噌汁を囲んで、かまびすしい会話に花が咲き続けている。

全国に七百万あった空き家の多くが、味噌づくり作業所や味噌蔵、こうじ室、味噌汁食堂になった。

小学校の校庭の一角には田んぼや畑があり、子供たちが世話をしている。

収穫されたお米や野菜や大豆は給食のおかずや味噌汁になっている。

理科の時間には虫眼鏡で大豆の新芽を見て、社会の時間には「大豆や塩がどこからやってきたのか」を話し、家庭科の時間に糀を仕込んでいる。

子供たちや先生や父母が混ざり合って作られる味噌を、みなで食べている。

豆味噌蔵では「 三年後に引き取りに来ます」と言って事前にお金を渡す『みそクラウドファウンディング(みそ蔵ウドファウンディング)』によって味噌が仕込まれ、味噌屋の経営が地域の人々によって支えられている。

おじいやおばあは、毎年少しずつ蔵に味噌を預けて毎年少しずつ引き出す『年菌(ねんきん)生活』をしている。

そのようにして、命の有り難さを噛み締めた人たちによる、皆で味噌をつくって皆で分け合って皆で食べる暮らしが、時代を越えてどこまでも広がっていく。

みそづくりのある未来の商店街


大阪湾に注ぐ淀川の河口あたりにいくつかの集落がある。

この川は昔から、百年に一度くらいのペースで決壊してきた。

そのたびに周辺の土地は洗い流された。

人々は住み着いては離れ、住み着いては離れを繰り返していた。

そのおかげで、特に誰もこの土地の所有権で揉めるようなことはなかった。

第二次世界大戦の時には、大阪湾全域の空襲によって、この土地も焼け野原になった。

そしてそのあと、河原に少しずつ人がやってきた。

河で魚を釣るもの、それらをさばくもの、売るもの、料理にするもの。

そのための道具を売るもの、住み着いた人びとの生活雑貨を売るもの。

少しずつ人が集まり、それぞれの暮らしを始めていった。

八百屋、床屋、雑貨屋、豆腐屋、酒屋、和菓子屋、駄菓子屋、電気屋。

そこで暮らす人たちが使うものを取り扱う店が佇む。

暮らしのリズムで営まれてきた、しずかな商店街。

焼け野原に住み着いた頃から暮らしてきたじいさんやばあさんは、二階建て木造の長屋が続くその商店街の中で、当時やっていた店を閉めたまま、今もゆったり暮らしている。

そんな商店街に、少しずつ若者が住み着き、それぞれの暮らしを始めた。

その中の何人かは、黙々と物づくりをしていた。

みそを仕込む。

褌や腹帯や手拭いを染める。

糸をよる。

ミシンをかける。

シェアアトリエ、共同作業所、道具の貸し借り、物と物、技と技の交換、共有。

商店街の中でつくられた様々なものとものが行き来し、人と人が交流する。

暮らしと経済と政治の線引きが曖昧になっていき、自給と自治と自営が絡み合う。

その渦中を切り取りわかちあう瓦版が、商店街をめぐる。

小さく、確かな、シェアと、拡散。

商店街の一角にある、瓦版をつくるために集まっていたゆるやかな集会場のようなスペースは、誰でも無料(人によっては投げ銭をしていく)でお茶が飲める茶房のようになっていった。

ここに集まる老若男女が持ち寄る情報は、手作りの印刷物になって配られる。

おもに地域の若者たちが、そんな瓦版をおじいやおばあの家に一軒一軒届けていく。

やわらかな会話が商店街のあちこちではずむひとときが続いている。

春のお楽しみは摘み菜の会。

みなで河原を歩いて、せりやナズナ、蓬や蕗や野えんどうを摘み、茶房に集って炊き込みご飯にみそ汁に白和えにおひたしにサラダを楽しむ。

たくさんつくって、近所にどっさりおすそ分け。

いつの時からか、若者たちが藍の芽が出たプランターや鉢植えを、商店街で配って回るようになった。

青葉が広がってきた夏のなかば、藍の生葉染めがさかんに始まる。

商店街ののれんのいくつかが、藍染めにたなびく。藍染めの子ども服、肌着、手拭いが年々ふえていく。

河原の一角にも藍の群落が発見され、大量に採ったそれらの藍の葉は、染めを営む商店街住人によって発酵に成功している。

なお、河原に誰かが種を蒔いたのか、商店街中に広がる藍の中の種の幾つかが、鳥か風かなにかによって運ばれたのか、については真相が明らかになっていない。

夏がおわりに近づくと、各家々の軒先には竹で編んだカゴで梅が干されている。

商店街の中で大量に作られる梅干しの中の幾つかは、梅醤番茶や梅干しの黒焼きになり、配られたり、茶房でふるまわれたりしている。

秋になると、それまで大豆畑の世話などで忙しかった若者たちが中心になって、集会場や茶房、小学校の校庭や公園や駅前で、みそ汁の炊き出しとふるまいが頻繁におこなわれるようになる。

大量につくられたみそ汁は、炊き出しの後に商店街で暮らす高齢者の一軒一軒に直接配られている。

あたたかい会話が商店街のあちこちでかもされるひとときが続いている。

商店街の中にある糀屋のふるまいで、大晦日には除夜の鐘を鳴らすお寺で大量のみそ汁の炊き出しがおこなわれる。

そして年が明けて初詣の参拝客が集まる地域の産土神社では、同じ糀屋のつくった甘酒がふるまわれる。

地域の糀が醸す神仏習合の年越し。

河原が見える商店街を微生物たちが漂い続けている。

今も、これからも。